ずっとひとりごと。

イラスト・ハンドメイド・ずっとひとり言です

写真

幼い頃、水に恐怖心があり海が嫌いだった。

 

二十数年前の話。

 

そこはたとえ晴れていてもとても暗い海で、絶対に近付かない場所だった。

何故かあの日、一度も行った事のないその海岸を一人歩いていた。

ふと足元に目をやると一枚の紙がゆらゆら水面に浮いている。

手に取るとそこには一人の日本兵が写っていた。

古い写真が塩水に浸かり更に色褪せていた。

写真館で撮影したのだろうか

軍服を着た彼は無表情のまま姿勢良く凛とした姿で写っている。

何故こんな所に流れ着いたのか

何故今なのかと考え一つの事柄が頭に浮かんだ。

当時北海道の風習で、盆になると故人への供養として

生前好きだったものを川や海に流す。

食べ物だけではなく手紙や幼くして亡くなった子へはぬいぐるみなど

写真と一緒に流す事もあった。

現在では環境への配慮からか、そのような光景は見なくなったが。

もしかすると家族が供養のために流した写真が

流れ着いてしまったのではないか?

だとしたら余計な事はできない。

しかしそのままにして置いていく事もできなかった。

また独りにした、とおかしな罪悪感が湧いてきたからだ。

頭の中で色々な考えが駆け巡る。

周囲には誰もいない。困ってしまった。

何度、手でそちらへ押すよう流しても足元に戻って来る。

意を決する事にした。

海への恐怖を感じながら写真と共に少し深い場所まで入って行き

目を閉じ手を合わせ成仏してくださいと心の中で語りかける。

時間だけが過ぎていった。

写真が少しずつ離れて行く。少しずつ少しずつ離れて行く。

やがて彼は海の中へと消えて行った。

気付くと辺りは薄暗くなっており一気に現実に引き戻される。

急いで海から出てその場を後にした。

写真がその後どうなったかは分からない。

もしかしたらまた何処かへ流れ着いてしまったかも知れない。

実は既に成仏していたのかも知れない。

御存命だったのかも・・

二十数年経過した現在でも、ふとした時に思い出す。

あの時本当はどうする事が正しかったのかと。

今であればネットなどを通じて持ち主を捜すという事もできただろう。

だが供養で意図的に流したのであれば

持ち帰るなど余計な事をすべきではない。

見届ける事が当時子供だった自分自身にとって

精一杯の行動であり、そうする事しかできなかった。

ずっと心に引っ掛かっていた。

他人は高が写真と思うだろう。

仮に家族や友人、恋人同士が笑顔で写っていたとしても同じ事をした。

書き出す事で頭の中が整頓される。

 

今でも海は苦手だけれど

晴れた日の函館と横浜の海は穏やかで好きだ。

遠目に見ているだけであれば。

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